ようこそ!
お訪ねくださり、ありがとうございます。
内田真弓さん、
アボリジニアートに出会って”ほんとうの幸せ、ほんものの豊かさ”を知る!
何と素敵なことでしょうか。
このような日本女性に出会いますと、ほんとうに心温かくなります。
◆「月刊 内田真弓」◆の編集長大西輝彦さんから私のブログを見てくださってメイルを
くださり、『かってに内田真弓プロモーション』 のMLにメッセージを!ということでしたので、喜んで、
お送りしたのでした!
詳細はこちらへ http://www.melma.com/backnumber_177043
私のブログは、 http://dankai.miwako-kurosaka.com/?eid=693206
”大地の声、 聞こえますか”、 ”狂った豊かさなんて捨てよ!”
今の時代にぴったりの、こんな表現を見つけて、
アボリジアートに魅せられた内田真弓さんの生き方を知ったのは、
いつも楽しみにしている「東京新聞こちら特報部」80年4月24日の記事。
しなやかな美しい女性の感性、知性、そして行動力に心うたれます。
真弓さん!
貴方の生き方は、貴方自身に幸せをもたらしているのと同じように、
今まさに、生き方を模索している真っ最中の若い方々に
“ほんものの幸せ”、“ほんものの豊かさ”の意味を伝えているのです。 そして、
私のような年上のものには、
真弓さんが日本で生まれ育っている女性であるという事実に、
またひとつ確かな希望をみつけて嬉しくさせてくださっているのです。
ありがとうございます!
私たち人間は、
多様な生きものが38億年をかけて繰り広げてきた生命の歴史の
最後にヒトとして誕生し、
毎日を“他の生きものの命”を頂いて生きてゆける存在であること、
その上で初めて様々な文化や経済活動が可能となるのだという
厳粛な事実に、真摯に向き会い、
感謝の念を表す行動をとることから、
21世紀の世界の蘇生は始まると想います。
真弓さんは、その道をすでに歩み始めているひとりと思います。
ーー
感謝の日に、沢田研二の”我が窮状”に出会う
「還暦のキュウジヨウ賛歌」、9条、窮状・・・静かに訴え、 麗しの国守りきりたい、
「米から本当に独立しないと」、、と並ぶ言葉!
向山邦史さんの五風十雨農場の収穫感謝祭に向かう「スーパーあずさ」の中で広げた
東京新聞「こちら特報部」の紙面。
「 我が窮状
麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが
忌まわしい時代に 遡るのは賢明じゃない
英霊の涙を変えて 授かった命だ
この窮状 救うために 声なき声よ集え
我が窮状 守りきれたら 残す未来輝くよ
麗しの国 日本の核が 歯車を狂わせたんだ
老いたるは無力を気骨に変えて 礎石となろうぜ
諦めは取り返せない 過ちを招くだけ
この窮状 救いたいよ 声を集め歌おう
我が窮状 守れないなら 真の平和はありえない
この窮状 救えるのは静かに通る言葉
我が窮状 守りきりたい 許し合い 信じよう 」
作詞/沢田研二 作曲/大野克夫
JASTRAC出0813771「(C)Anima Publishing Co.Ltd
なんということでしょうか。
あのジュリー! 沢田研二 ! さんのことでした!
確かに同じ世代でしたが、余り、好きにはなれなかった歌手でした!
よく、あんなことができるな! 恥かしくないかしら! なんて、
あの TOKIO とか、勝手にしやがれ、とか、歌っている姿をみていて、
想っていました!
本当に、びっくりです。
ごめんなさい!
外見だけで判断してはいけなかったのですね! と反省していました。
そして、
胸の底から、あたたかな喜びの気持ちが沸きあがってきました!
こういうことが、年を重ねることなのだ!と
こういうことが、人生の意味なのだ!と
よく読んでみますと、
40歳から20年間は不遇の時代を送ったとのこと。
そして、
還暦の今年5月にこっそりと、「我が窮状」を出したのが、
静かにヒットしているのだというのです。
是非、Youtube でどうぞ !
”我が窮状 ”
http://jp.youtube.com/watch?v=tOwpazaAjtA&feature=related
そして、これ一緒に、どうぞ。
”Kenji Sawada ☆Long Good-by☆ ” http://jp.youtube.com/watch?v=HX8q0mj8hcY&feature=related
このような歌が歌えるようになるとは!
生きていろいろな間違いや失敗を起こしながらも、年を重ねて、成熟してゆく意味
改めて学んだ日。
感謝の日に感謝 !
素晴らしい!!!
追記:アゲハの蛹、11月4日時点でまだ蛹状態です!!!
アゲハの幼虫
今日、2008年9月28日にアクセス数が7777になりました!
若い時にくらべると体力的な無理が利かなくなりますので、
なかなか思うことの半分くらいしか実際にできなくなってきていますが、
その分だけ、心をこめるようにしております!
今年の猛烈に暑かった夏も過ぎ去り、
秋も深まりつつあります。
ベランダのイタリアンパセリにアゲハが卵を産みつけたようで、
五匹の幼虫が食べつくし、
隣のパセリに移り、やはり、食べつくしてきていますので、
今日、ダイエーの野菜売り場でパセリを二束買ってきて、
今、枯れないように、
その一束の茎にぬれた紙を巻きつけてビニールで囲み輪ゴムで縛り、
その葉の上に、
食べつくして茎にしがみついているまだ成長中の二匹を移したところです。
五匹のうち一匹は、
蛹になるために、気がつかないうちに、どこかに異動してしまったようでした。
一匹は、網で囲いをしたところで、静かに蛹になっています。
もう一匹も、静かにしていたので蛹に、、と楽しみにしていたのですが、
今朝そこをみましたら、なぜか、そこが濃い緑色の汁が流れて乾いたような。
なぜかはわかりませんが、無事に蛹になることはできなかったようです。
心配になりましたので、
淡い緑色になっている蛹を、家の中の安全な場所に、移しました。
毎日みてゆくことにしましょうか。
この蛹は、この秋に蝶になるのでしょうか。
ーーー
おかげ様で、2008年6月23日早朝にアクセスが7,000を超えました。
心から感謝申し上げます。
季節のご挨拶
夕暮れ時のひとときを楽しむ季節がめぐってきております。
いかがお過ごしでしょうか?
“人生の物語の輪がつながる”という意味は
こういうことなのか、と
身にしみて解る機会が重なる年齢となってきております。
昨年2007年は、
憂慮する関係者の皆様とともに、1996年6月に設立したJCSDの10年余の活動実績と教訓を背景に創り直し、「持続可能な発展のための日本評議会(JCSD)」として、今後の10年間の日本の歴史的な役割を果たすために動き始めた年となりました。
創立60周年を迎えた(財)統計研究会の理事長宮川公男氏に協力し、『学際』第20号で特集「持続可能な未来のビジョン」と題し、ブルントラント報告書公表後20年間の変化を分析し、21世紀の“Our Common Future”を考える機会をもつことができました。その後、機関誌『エコ・フォーラム』(創立60周年記念特別号:2008年3月発刊)特集”持続可能な発展を考える”において、「エコロジカルで創造的で安寧な発展への転換―日本人が国際的に歴史的な役割を果たす好機―」を寄稿する機会をいただきました。
愛知環境賞受賞式で“生物多様性”の意味を話す機会をへて、ずっと以前から暖めていた想いを共有してくださる方々と“多様ないのちを還す”行動を始めました。
日本国憲法施行60年目を迎えて、同年齢の私も“還”の意味を感じつつ、幾つかのうれしい出会いや再会とともにビターな体験も味わいましたが、暮れになって不思議なお便りをいただきました。
まず、私のブログで亡き父の遺した『安東軽金属回想録』についての一文を見つけてくださった方からでした。太平洋戦争敗戦直後の満州で八路軍によって狭い牢屋に父と一緒に数週間入っていた同僚の長男の方。父の記述の中でその方の御父様が3回も登場し、「彼は今どうしているだろうか」と行方を父が心配している様子が読み取れるのです。その方のお話では、父がそう書いていた丁度その頃に御父様は亡くなられたのだと。当時もし八路軍の要求する身代金が準備できなかった時は、父とその方のお父様が死刑になるはずだったとの話を初めて聞きました。その方は、勝海舟の遠縁にあたるのだそうです。
そのお話を聞いて初めて、生前には理解できなかった父の言動の背景がより深く理解できるようになっています。死刑の可能性から免れた後の、父と母の想いを受けて”いのち”を授かり、母の胎内で朝鮮半島四十数日の引揚げ行にもかかわらず生き延びて、日本で生まれ、価値観を大きく換えた父母の下で育てられたのだと、これが私の背景だったのだと、この年齢になって改めて確認した次第です。
ふたつめ。それは素晴らしい予期せぬクリスマスプレゼントでした。子ども向けの環境問題についての本のはしりとして1991年に発刊され、ほとんどの小学校と各地域の公共図書館に行き渡ったというポプラ社の『地球の環境問題シリーズ1 大気汚染から地球をまもれ!』の中で私が分担執筆した部分、「ほんとうの豊かさとは何か?」を、今年2008年4月から6年生の国語の教材に使用してもよいか許可が欲しいというメイル。もうすっかり、書いたことさえ忘れていたほどでしたのに。何という“うれしい”お話でしょうか。テスト教材とのことで、詳細な内容は夏過ぎてからしかご紹介できないので、もうしばらくお待ちください!
昨年はカナダの大学院で環境学を修めて帰国して20年目の年でした。イディス・コッブ著の『イマジネーションの生態学』(思索社)を出して後、『自然への共鳴』(3巻)を企画・編集している1988年に、
今から20年前のこの季節に、地球規模の環境と開発の問題に経済大国の日本政府や企業に積極的に対応して欲しいと要請するために初来日したGusさん夫妻と出会い誘われて以来、それまでに全く予想もしなかった方々―霞ヶ関・永田町・丸の内の関係者と関わることになりました。当時の日本では、日本の経済活動が温暖化や熱帯林消失などの地球規模の資源と環境に脅威となっている事実に殆ど関心や懸念がもたれていない状況でしたし、また、政府の政策を分析し代替案を提案する政策研究の重要性も殆ど認識されていないうえに、政府でもなく企業でもない立場で問題を指摘するNGO・NPOの役割に対しても殆ど理解されていない状況でした。
しかし、20年目の今年は、G8サミットが日本で開催されるために様々な行事が展開されて、気候変動対策は重要な議題のひとつとなっていますし、NGO/NPOの活躍はメディアが必ず取り上げますし、様々な政策提案が政党や議員や行政府に寄せられています。大きな前向きの変化を見ることができます。更によりよい方向へと進むために、望ましい未来のあり方を考えるために、現在と過去を真摯に見据えるひとつの機会を提供させていただこうと、1988年からWRIがどのように日本の政府や企業や学術界やNGO/NPOやメディアに働きかけてきたのか、その軌跡を世界資源研究所―日本サイト( http://www.wri-jp.org/) で紹介してまいります。
今年も毎日を大切に味わいながら働いて参りたいと想っております。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
2008年6月吉日 黒坂三和子
ーーー
はじめまして、、、
人々の安寧を確保しつつ、
この地球上で共に生きている多様な生命を尊重する経済活動へと移行する道を、
皆様とともに、考え、ビジョンを創り、実践し、着実に歩んでいくために、
私は、
エコロジカル・イマジネーションと、
最新のITの秘める可能性とに大きな期待を込めて、
このウエッブサイトを2006年8月15日に初めて開設して試運転をしてまいりました。
そして、
友人・知人・関係者から頂いた貴重なご感想やご助言を参考にさせていただき、
2006年12月8日に本格的なサイト運営を始めることにいたします。
12月8日という日は、
世界史上では65年前に大日本帝国政府が予告なく真珠湾攻撃を行い、
米国等との全面戦争へと突入した日であり、
アジアの多くの人々に犠牲を強いた悲惨な戦争を起こした記念日となっています。
また、
「イマジン」のジョン・レノンが凶弾に倒れたのが1980年のこの日です。
ところが、私には、
この世に生を受ける可能性が確保された特別な日であることに一昨年気がつきました。
実は、
私は、祖母・父母・兄姉とともに母の胎内で、
敗戦直後の1946年10月23日に満州安東を小船で出発し、
38度線を陸路で越えて、また小船で仁川まで移動し、そこから列車で釜山まで移動し、
そして、また船で日本に向い、博多に入港し待機し、
この日、12月8日に博多に上陸したのでした。
そして、
この日から母の胎内で翌春の誕生までを安全に過ごしたのです。
このような事実を私が、
日本史や世界史の文脈の中で家族史・個人史と結びつけて認識することができたのは、
父母が死去してからかなりの時の経っていた、
一昨年のことでした。
このような背景をもつ私は、
偶然の重なりの中で生かされてきたことの意味を、
また、多くの方々に導かれてここまで健康に働けることの意味を理解できる年齢になってきております。
これまでの見えない力の導きに深く感謝しつつ、
21世紀の初頭の現在を生きている一人として、
未来に向けて、多様な生命に共鳴するイマジネーションと、
共感をともなった謙虚な創造性や知性を育むことのできる社会を創るために、
私の残された時をかけて働く覚悟でおります。
どうぞ、このサイトをゆっくりご覧くださって、
もし、ご関心をお持ちくだされば、ご意見をお寄せくださいますでしょうか。
また、共感していただければ、ご一緒にできる可能性を探っていただけますでしょうか。
どうぞ、ご指導、ご協力、ご支援を宜しくお願い申し上げます。
